@article{oai:hirosaki.repo.nii.ac.jp:00002182, author = {安田, 寛 and 北原, かな子}, issue = {82}, journal = {弘前大学教育学部紀要}, month = {Oct}, note = {application/pdf, 明治期に日本に導入された洋楽が普及していった過程については,以前は,制度的側面を中 心とした伊沢らの業績のみに目がそそがれがちであったが,近年宣教師たちが行った讃美歌を 中心とした教育にも注目し,広い視野に立って,日本人と洋楽との関係を問い直そうとする動 きが出てくるようになった。 しかしながら,一つの地方に注目し,学校教育と宣教師たちによる教育との双方を対比的に 把握し,制度面のみならずその内実を明らかにしようとした研究は,これまでのところ,なか ったと言って良い。筆者らはこれまで,明治初期からキリスト教が普及すると同時に学校敦言 も行われ,かつ,古い史料が今日に至るまで数多く残されているという,きわめて珍しいケー スとして津軽地方弘前に注目し,東奥義塾,函館遺愛女学校について考察を行ってきた。本稿 は,これまでの研究を踏まえ,主に明治二十年代以降の弘前女学校を中心とした,津軽地方弘 前での洋楽普及過程の一端を考察する。, 弘前大学教育学部紀要. 82, 1999, p.87‐95}, pages = {87--95}, title = {弘前女学校の音楽教育}, year = {1999} }