@article{oai:hirosaki.repo.nii.ac.jp:00002230, author = {安野, 眞幸}, issue = {89}, journal = {弘前大学教育学部紀要}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 本稿は、家督を継いだばかりの信長が、知多郡・篠島の商人を保護し、彼らに対し往来の自由を認めた折 紙の分析である。本稿での私の目的は、当文書発給の歴史的な場面を復元することにあるO ここで私は、先学が暖味にしてきた「当所守山」を、当時の信長の勢力圏「那吉野・守山間」とし、宛名 の「大森平右衛門尉」を守山・大森にあった宿・関と関わった人物で、この折紙により、知多郡・篠島の商 人の商人司に任命されたとの考えを提出した。当時交通の自由を妨げていたものは、通説では経済関とされ ているが、この文書の分析によって明らかになったことは、質取りや喧嘩などで人身の自由が脅かされてい たことが大きかったとなろう。, 弘前大学教育学部紀要. 89, 2003,p41-52}, pages = {41--52}, title = {智多郡・篠島商人宛て自由通行令}, year = {2003} }